タイは、食べられる前に、
言葉として祝われてきた魚でもある。
「めでたい」。
その響きに、タイの名が重なるとき、
魚は単なる食材を越え、
意味を帯びた存在になる。
だが、言葉が先にあり、
魚が後から当てはめられたわけではない。
この章では、
タイがどのように言葉や象徴と結びつき、
日本の感覚の中に置かれてきたのかを見ていく。
🐟 目次
🗣️ 1. 「めでたい」という語感
「めでたい」という言葉は、
祝福や達成、節目を示す。
その語感が、
「タイ」という音と重なったことは、
確かに象徴化を後押しした。
だが、
語呂合わせだけで、
一つの魚がここまで定着することはない。
言葉が効いたのは、
すでにタイが、
祝いの場に自然に置かれていたからだ。
🔴 2. 言葉より先にあった実感
タイは、
赤く、姿が整い、
扱いにくさが少ない。
焼いても崩れず、
供えたあとに食べられる。
そうした実感が、
長い時間をかけて積み重なった結果、
言葉が意味を与えた。
象徴は、
空から降ってくるものではない。
使われ続けた結果として生まれる。
🎎 3. 図像と象徴としてのタイ
絵画、置物、紋様。
タイは、視覚的な象徴としても用いられてきた。
恵比寿と鯛。
祝い事の絵柄として、
あまりに定着している組み合わせだ。
ここで重要なのは、
タイが神聖視されすぎていないことだ。
神の魚ではなく、
人の側にある象徴として描かれている。
🧭 4. 象徴になりすぎない魚
象徴は、ときに重くなる。
触れてはいけないものになることもある。
だがタイは、
象徴でありながら、
必ず食べられる。
供えられ、
切られ、
口に運ばれる。
この距離感が、
タイを生活から引き離さなかった。
🌊 詩的一行
タイは、言葉に持ち上げられすぎず、暮らしに置かれ続けた象徴だった。
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