人の中には、森の時間がまだ生きている。
ふとした瞬間、
台所の匂いが昔の山を思い出させる。
干し椎茸を水に戻したときの、
あの土のような、木のような香り。
湯気の奥に、見えない森が立っている気がした。
もうその山には行けない。
伐採され、道が舗装され、
昔の小道も消えてしまった。
けれど、香りの中にはまだ、
子どものころの森が残っている。
きのこは、記憶の中で何度も生える。
雨の音を聞いたとき、
秋の光を見たとき、
心の中のどこかで胞子がふくらむ。
それは思い出ではなく、
身体に刻まれた“森の反応”のようなものだ。
祖母の家の軒下で干された椎茸、
父の手のひらに載ったマツタケ、
誰かと笑いながら食べた味噌汁。
きのこの香りには、
人の記憶がそっと重なっている。
きのこが森を分解して新しい命を育てるように、
人の記憶も、失われたものを別の形にして生き続ける。
亡くなった人の声、
もう戻らない季節の光、
その全部が香りの中で少しだけ蘇る。
私たちは、
食べることで過去とつながり、
香りの中で誰かと再会しているのかもしれない。
✨詩的一行
森は、もう一度香りとして生える。
人の記憶の奥で。

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