🌾人とどんぐり

ドングリと森の動物たち

どんぐりは森の実でありながら、かつて人の食卓にもあった。
縄文の人々は秋になると山に入り、落ちたどんぐりを拾い集めた。
水にさらして苦味を抜き、石で砕き、粉にして火で焼く。
時間のかかるその作業の先に、ようやく一枚の平たい餅ができあがる。
それは穀物が育たぬ時代に、森が与えた確かな糧だった。

どんぐりには渋みのもととなるタンニンが多く含まれる。
そのままでは食べられない。
けれど、長く水にさらせばやわらかくなり、独特の香ばしさを残す。
どんぐりを食べるという行為には、
森と人との“忍耐の関係”があったのだろう。

時代が進み、米や麦が人の主食になると、
どんぐりは“非常食”へと姿を変えた。
飢饉や戦のとき、人々はまた山へ向かい、
苦い実を拾い、灰汁を抜き、命をつないだ。
森はいつの時代も、人の背後で静かに見守っていた。

やがてどんぐりは、食べ物ではなく“遊び”になっていく。
子どもたちは帽子を並べ、こまを作り、
ころころ転がしては笑い転げた。
公園の片隅でポケットいっぱいに拾い集めたあの日、
私たちは無意識のうちに、
遠い縄文の記憶を追体験していたのかもしれない。

現代のどんぐりは、観察の対象でもあり、学びの入口でもある。
学校の理科室では、
「これはマテバシイ」「これはコナラ」と名札をつけて並べる。
食べられなくても、使われなくても、
どんぐりは今も人の生活の隣にある。

森に足を踏み入れると、
どんぐりの落ちる音が遠くから聞こえてくる。
それは古代からつづく“豊かさの音”なのかもしれない。
森が静かに差し出してくれる小さな恵みを、
人はいつも何かしらの形で受け取ってきた。

拾う手が子どもであれ、大人であれ、
その掌の温かさに変わりはない。
どんぐりは、
人と森を結ぶ、変わらぬ約束のかたちだ。

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