ヒツジは、日本にいなかった動物ではない。
だが、日本に根づいたとも言い切れない。
何度も導入され、期待され、
そのたびに「広がらなかった」。
ヒツジの日本史は、成功よりも、途中で止まった試みの積み重ねだ。
なぜ日本でヒツジは増えなかったのか。
それを知るには、導入の背景と、
そのとき日本がヒツジに何を求めていたかを見る必要がある。
🐑 目次
📜 1. 近代以前のヒツジ観
日本には、
ヒツジを家畜として飼う文化が、ほとんどなかった。
古代・中世の文献に、
ヒツジらしき動物が登場することはあるが、
それは知識としての存在に近い。
日本の家畜文化は、
ウシ・ウマを労働力として使い、
ブタやニワトリを食料として扱う形で発展してきた。
草を食べ、毛を刈るヒツジは、
この体系の中に入り込みにくかった。
🏭 2. 明治期の導入 ― 近代国家の要請
本格的なヒツジ導入は、明治期に始まる。
近代国家を目指す中で、
羊毛=軍服・防寒具の原料が必要になった。
政府は、
海外からヒツジを導入し、
官営牧場や試験場で飼育を試みた。
だが、問題はすぐに明らかになる。
- 高温多湿の気候
- 寄生虫や病気
- 放牧地の確保の難しさ
ヒツジは、
思ったほど簡単には育たなかった。
🪖 3. 軍需と羊毛 ― 必要に迫られて
日清・日露戦争、そして戦時体制。
羊毛需要は、再び高まる。
この時期、ヒツジは
「育てたい家畜」ではなく、
必要だから育てる家畜だった。
短期間で成果を求められ、
環境整備や技術の蓄積は後回しにされた。
結果として、
戦争が終わると、ヒツジ飼育も縮小していく。
ヒツジは、
平時の暮らしに戻ると、
優先順位を下げられてしまった。
🌾 4. 開拓と農政の中で
北海道開拓では、
ヒツジは一定の期待をかけられた。
冷涼な気候と広い土地は、
ヒツジに向いていると考えられたからだ。
実際、北海道では、
本州より安定した飼育が可能だった。
だが、
牛乳・牛肉・作物生産が優先される中で、
ヒツジは主役になりきれなかった。
農政の中で、
ヒツジは常に代替的な存在だった。
🌙 詩的一行
ヒツジは、日本に呼ばれたが、居場所を与えられきれなかった。
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