―せいかつ生き物図鑑・雑学シリーズ―
鮭は、帰る。
海を渡り、季節をまたぎ、そしてまた生まれた川へ。
その旅の理由は、地図でも星でもなく――「においの記憶」。
古代から日本人の秋とともにあったこの魚に、少し近づいてみよう。
📘目次
- 第一章 においの記憶で帰る魚
- 第二章 秋を連れてくる魚
- 結び 季節を運ぶ旅人
第一章 においの記憶で帰る魚
鮭が生まれた川に戻ってくる理由は、「におい」にある。
川ごとに溶けている鉱物や木々の成分は少しずつ違い、それが水の指紋のような役割を果たしている。
鮭は稚魚のころ、その水の匂いを覚える。
そして広い海へ旅立ったあとも、その記憶を消さずに持ち続ける。
彼らの嗅覚は驚異的で、10億分の1の濃度差を感じ取るといわれる。
潮流を越え、海流を渡りながらも、ほんのわずかな川の香りを頼りに戻ってくる。
それはまるで、記憶の糸をたぐるように。
人にとっての「ふるさと」が風景や音なら、
鮭にとってのそれは水の香り。
鮭は流れの声を聞き、水の匂いにふるさとを嗅ぎ取る――
そんな詩のような帰還を、毎年のように繰り返している。
第二章 秋を連れてくる魚
日本では、鮭の遡上を秋の訪れと重ねてきた。
『万葉集』には「秋鮭(あきざけ)」という言葉があり、
平安の頃にはすでに季節の象徴としての鮭が意識されていた。
東北では秋祭りの供物に鮭を捧げ、
北海道のアイヌは「カムイチェプ(神の魚)」として祀った。
その姿は、ただの食糧ではなく季節の神の使いとして見られていたのだ。
地域によってその呼び名も変わる。
本州では「アキアジ」、北海道では「トキシラズ」――
名が変わるたびに、季節の時間も少しずつ移ろう。
鮭の群れが川を上り始めると、森も山もそのリズムで秋を知る。
つまり鮭は、季節を運ぶ旅人。
海と川、そして人の心をつなぐ“時間のしるし”なのだ。
結び 季節を運ぶ旅人
鮭の帰る姿を見ると、人はなぜか静かになる。
それは、自分の中のどこかにある「帰る場所」を思い出すからだろう。
川を上る鮭の列は、季節そのものの形だ。
流れに逆らう魚たちは、時間の中を遡る私たちの姿でもある。
鮭は今日も、秋を連れて帰ってくる。


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