絶滅危惧クジラ、海をわたる 3000マイル
― アイルランドからボストンへ、「はじめて記録された旅」(12月4日)
北大西洋に生き残ったクジラたちの中で、もっとも数が少ない一種がいる。
North Atlantic Right Whale(北大西洋セミクジラ)。
その数は 400頭にも満たないと言われ、海から消えゆく寸前の存在だ。
2025年、そのうちの一頭が、
研究者たちを驚かせる旅の軌跡を見せた。
アイルランド・ドニゴール湾で撮影された個体が、
約1年半後、アメリカ・ボストン沖で再び確認されたのだ。
■ 3000マイル、東から西へ ― 稀有な横断航路
このクジラは、2024年夏、アイルランド近海で写真が撮られ、
特徴的な頭部の模様から個体識別が行われていた。
それから約1年半後の2025年11月、
マサチューセッツ州沖の調査飛行で、
同じ模様を持つクジラが再び観察された。
記録が残るかぎり、
ヨーロッパ側から北米側へ、東→西に大西洋を渡ったセミクジラが確認されたのは初めてだという。
推定でおよそ 3000マイル(約4800km)。
それは、広い大西洋のどこかに、
まだ私たちの知らない「海の道」が残されていることを示している。
■ 消えゆく群れと、新しい手がかり
北大西洋セミクジラは、
かつて「捕りやすく、沈まず、岸へ運びやすい」ことから
“right whale(捕るのにちょうどよいクジラ)”と呼ばれ、
乱獲の対象となってきた。
捕鯨が禁止されたあとも、
船との衝突や漁網への絡まり、騒音、公害などが重なり、
個体数はなかなか回復しない。
それでも近年、北西大西洋の一部海域では、
わずかながら増加傾向の兆しも報告されている。
今回の「アイルランド → ボストン」の旅は、
セミクジラがどの海を行き来し、
どこでエサをとり、どのルートを探しているのか――
その謎を解く鍵のひとつになる。
■ 海はひとつ、保護もまた「国境をこえる」
この個体を追跡した研究者たちは、
写真照合やデータベース連携を通じて、
アイルランドとアメリカの研究機関が協力して正体を突き止めた。
1頭のクジラが、大西洋の両岸を結んだように、
その保護もまた、
海をはさむ国々の連携なしには成り立たない。
航路の規制、船舶の速度制限、漁具の改良、騒音の低減。
どれも一国だけでは不十分だ。
冬から春にかけて、ボストン沖には、
母クジラと子どもたちの姿が見られることがある。
その傍らを、大陸から大陸へと海をわたるクジラが、
静かに通り抜けていくのかもしれない。
私たちが暮らすこの陸地も、
あのクジラが泳ぐ海も、
本当はひとつながりの世界の中にある。
🌍 せいかつ生き物図鑑・世界編
― 海をわたる命の軌跡 ―出典:Center for Coastal Studies/New England Aquarium 報告/People.com “Critically Endangered Whale Amazes Experts by Traveling 3,000 Miles from Ireland to Boston”(2025年) ほか
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