▫️ことばに宿る稲と雷の結びつき
稲妻(いなずま)という言葉には、稲と雷が結ばれてきた長い時間が静かに刻まれている。
“妻”と書くのは偶然ではなく、古語では「いなづま」は「稲の夫(つま)」とも記された。
雷は稲を実らせる力を持つ“伴侶”と考えられていたのだ。
稲が育つ季節、空にはしばしば光が走る。
その光が稲の成長の合図であり、命を吹き込むものとして受け取られていた。
言葉そのものが、昔の人が自然と共に暮らしていた呼吸を伝えている。
▫️雷がもたらす“肥やし”の恵み
雷は単なる空の音ではなかった。
雷光は空気中の窒素を変化させ、雨に溶けて地表へ降る。
それは天然の肥料となり、水田を肥やし、稲を強く育てた。
昔の農村で「雷の多い年は豊作になる」と言われたのは、
迷信ではなく、長い経験の中から得られた民俗知だ。
雷の季節と、稲の背が伸びる季節が一致していたことも、
自然と作物の密接な関係を示している。
▫️雷神と稲作儀礼
日本神話に登場する建御雷神(たけみかづち)は、武の神であると同時に雷を司る神。
その力は破壊ではなく、作物を実らせる“生命の起こし手”として信仰された。
東北では雷を「なり神」と呼び、
その年の雷の数を稲の実りの兆しとして数えた地域もある。
「鳴る=成る」の感覚は、農耕文化の中で生まれた言葉だ。
一方で、人びとは雷除けの札を田に立て、
激しい雨から田を守る祈りも捧げた。
雷は豊穣の象徴であると同時に、畏れの対象でもあった。
▫️“妻”が示す自然との結び
「妻(つま)」という字は古語で“深く結ばれたもの”の意味を持つ。
だからこそ、稲の“妻”は稲がもっとも深く結びつく自然――
すなわち雷だった。
稲妻とは、天と地が交わる瞬間の名前であり、
稲の命に光が宿る時の言葉だったのだ。
▫️季節を告げる光
秋が近づくと、空の遠い光を見て人びとはその年の実りを占った。
雷鳴は稲の声、光は収穫の予兆。
「田が息をしている」という古い言い回しは、
自然の状態をそのまま暮らしに重ねていた時代の感覚をよく表している。
現代では空を見上げて豊作を占うことは少なくなったが、
“稲妻”という言葉には、稲作と共に生きた人々の記憶が静かに残っている。
空を裂く光の線は一瞬のようでいて、
その奥には、稲の命を支えてきた長い時間が息づいている。
稲妻――それは、雷が運ぶ豊かさの名残である。
コメント