🐟 ナマズ15:日本のナマズ文化 ― 地震と民俗の象徴 ―

ナマズは、日本では「ただの魚」ではなかった。

川や湖の底に棲む実在の生き物でありながら、地面の揺れや社会の不安と結びつけられ、人の想像力の中で特別な位置を与えられてきた存在である。

見えない場所に棲み、普段は姿を現さない。しかし、ひとたび異変が起これば、その原因として名を呼ばれる。ナマズは、日本人が自然の力と向き合うために選び取った象徴のひとつだった。

🐟 目次

🏯 1. 地震ナマズという発想 ― 揺れを説明する存在

日本各地に残る「地震はナマズが暴れることで起こる」という言い伝えは、単なる迷信ではない。

地震という、目に見えず、理由もわからない現象に対して、人々は何らかの「説明できる存在」を必要としていた。地下や水底に棲み、普段は見えないが確かに存在する魚――ナマズは、その条件にぴたりと当てはまった。

また、地震の前後に井戸水が濁る、川の様子が変わるといった体験が、ナマズと揺れを結びつけた可能性もある。科学的な因果関係とは別に、生活の中で観察された感覚が、物語として定着していった。

🖼️ 2. 鯰絵 ― 江戸の災害と民衆文化

江戸時代、特に安政江戸地震(1855年)の後には、「鯰絵」と呼ばれる版画が大量に描かれた。

そこに描かれたナマズは、地震を起こす悪者であると同時に、世の不均衡を正す存在としても表現されている。大工や商人に富を分配するナマズ、権力者を揺さぶるナマズ。恐怖だけでなく、風刺と希望が同時に込められていた。

災害をそのまま受け止めるのではなく、笑いや皮肉に変換する。鯰絵は、民衆が不安と向き合うための文化的装置だった。

⛩️ 3. 信仰と鎮め ― ナマズを抑える力

ナマズは恐れられるだけの存在ではない。各地には、ナマズを鎮める神や石、祈りの対象が残されている。

代表的なのが、鹿島神宮の要石伝承だ。地下のナマズを押さえつける石があるという物語は、「制御できない自然を、完全ではなくとも抑えようとする意思」を象徴している。

ここには、自然を敵として排除するのではなく、力を認めたうえで共存しようとする感覚がある。

🧭 4. なぜ日本でナマズだったのか

日本には他にも、水辺に棲む魚は多い。それでも、地震と結びついたのはナマズだった。

理由のひとつは、その生態にある。底に棲み、ひげで周囲を感じ取り、音もなく動く魚。地面の下で何かが動いている、という想像と重ねやすかった。

もうひとつは、人の生活圏との近さだ。川、用水路、田んぼ。ナマズは、日常のすぐ隣にいる「見えにくい存在」だった。

だからこそ、日本人はナマズに、揺れの理由と不安の受け皿を託した。

🌙 詩的一行

揺れの正体を、魚のかたちで語ろうとした。

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