海が変わり、真珠が育たなくなる日
― アコヤ真珠を支えてきた海と人の危機 ―
日本の海で育つ小さな光、アコヤ真珠。
その輝きを支えてきた養殖現場がいま、静かに追い詰められている。
気候変動による海水温の上昇、貝を弱らせるウイルス、そして担い手の高齢化。
三つの要因が重なり、日本の真珠産業は「存続の崖」に立たされている。
世界の主要紙もこの問題を取り上げ始めたが、
この危機は日本の沿岸で、もっと早く、もっと深く進んでいた。
■ 海水温が“1℃上がるだけで”貝は死ぬ
アコヤガイは、18〜25℃ほどの穏やかな海で育つ。
ところが近年、日本沿岸の夏の水温は30℃近くまで上がり、
養殖場は「生き残りの境界線」を越えつつある。
とくに三重県・愛媛県など主要産地では、
高水温による大量死が続き、
養殖業者が春に仕込んだ貝のほとんどが死ぬケースも報告されている。
アコヤガイは暑さに弱い。
水温が上がると免疫が落ち、貝を弱らせるウイルスに感染しやすくなる。
ウイルスにかかった貝は、殻を閉じる力を失い、体力を消耗し、そのまま死んでいく。
真珠は、生きた貝が時間をかけて育むものだ。
海がわずかに乱れるだけで、
その過程は“最初からやり直し”になる。
■ 失われるのは真珠だけではない ― 海の季節が変わり始めた
沿岸の漁師たちは、ここ10年ほどで海の表情が変わったと言う。
- 春の水温上昇が早すぎる
- 夏の高温期が長い
- 真珠貝の餌となるプランクトンの発生が乱れる
- 赤潮が増え、海が“濁る”
海のリズムが変わると、貝の成長サイクルも乱れる。
本来なら秋の冷たい海で貝が身を引きしめ、
真珠層が均一に積み重なる。
それが美しいテリと丸みをつくる。
しかし今の海は、貝に“冬の合図”を与えない。
季節の境目が消えると、真珠の質も落ちる。
■ 担い手の高齢化 ― 海とともに生きた技術が消えていく
真珠養殖は、自然任せでは成り立たない。
貝の体内に「核」と呼ばれる丸い芯をそっと入れ、
その刺激に反応した貝が、美しい真珠層をかける。
この「核入れ」は、人の手の技術だ。
わずか1mmのズレが、真珠の丸さ・テリ・価値すべてを左右する。
しかし、熟練技術者の多くは60代〜70代。
後継者は少なく、海に出る人自体が減っている。
海が変わり、貝が弱り、
そこへ担い手不足が追い打ちをかける。
■ 日本の真珠は“奇跡的なバランス”で成り立っていた
アコヤ真珠は、
日本の海・人の手・技術・気候・文化が揃って初めて成り立つ、
非常に繊細な産業だ。
ひとつの真珠ができるまで、
小さな貝が季節をいくつも越え、
人が海を見続け、
嵐や高温や病気を乗り越えて、
ようやく光を宿す。
その“奇跡の均衡”が今、ひび割れ始めている。
■ それでも、海に希望が残るなら
真珠産地の人々は、
高水温に強い貝の育種、
赤潮の監視、
ウイルス耐性の研究など、
できる限りの手を未来に伸ばしている。
小さな湾で、静かな海の底で、
真珠貝がふたたび強く育つ日が来るのか――。
それを決めるのは、ただの産業政策でも、
科学の進歩だけでもない。
海と生きものが、もう一度季節を取り戻せるかどうか。
それが、日本の真珠の未来でもある。
🌍 せいかつ生き物図鑑・国内編
― 変わりゆく海と暮らしを見つめる観察記 ―出典:The Washington Post(日本のアコヤ真珠産業に関する特集記事, 2025年)/水産庁資料 ほか
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