スペインで再び広がるアフリカ豚熱― イタリアの教訓から、日本の豚肉のこれからを考える ―

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スペインで再び広がるアフリカ豚熱
― イタリアの教訓から、日本の豚肉のこれからを考える ―

2025年11月、スペイン・カタルーニャ州の野生イノシシから、約31年ぶりとなるアフリカ豚熱(ASF)陽性が確認された。
人には感染しないが、豚とイノシシにとっては致死率ほぼ100%、ワクチンも決定打がない病気だ。

このニュースが重く受け止められているのは、単に「スペインでまた出たから」ではない。
数年前、イタリアがたどった流れとよく似ているからだ。
そしてそれは、遠いヨーロッパだけの話ではなく、日本の豚肉の未来にも静かに影を落としている。


■ イタリアで起きたこと ― 野生イノシシから始まった“教科書的な拡大”

イタリアでASFが最初に見つかったのは、2022年、北部ピエモンテ州の森の中だった。
対象は家畜ではなく野生イノシシ。人に症状は出ないため、一般にはそれほど危機感が伝わらなかった。

しかしウイルスは、森の奥で静かに広がっていった。
イノシシ同士の接触、感染した個体の死体、血液や体液に触れた土や水。
そうした経路を通じて、山岳地帯から平野部へ、自然公園から農地の縁へと、
じわじわと感染の輪が広がっていったのである。

1〜2年が過ぎるころ、ついにウイルスは家畜豚の農場へ入り込んだ。
森に近い屋外飼育、作業者や車両のタイヤ、十分に加熱されていない残飯…
複数のルートから農場に落ち、結果として数十万頭規模の殺処分が行われた。

影響は豚肉産業だけではない。
生ハム産地では輸出が停止し、観光地ではイノシシの大量駆除が行われ、
地域経済と風景そのものが変わってしまった。


■ スペインでの再流行が“イタリア以上に重い”と言われる理由

今回ASFが確認されたスペインは、イタリア以上にリスクの大きい国だ。

第一に、スペインはEU最大級の豚肉大国である。
飼養頭数は数千万頭規模、EUの輸出を支える中心国のひとつだ。
ここで本格的な流行が起きれば、ヨーロッパ全体の豚肉供給が一気に揺らぐ。

第二に、世界的に知られたイベリコ豚の存在だ。
ドングリ林を自由に歩き回る放牧スタイルは魅力的だが、
同時に野生イノシシとの接触リスクが非常に高い飼育形態でもある。

屋外でのびのび育てるほど、ウイルスから守るのは難しくなる。
ブランドの象徴である「デエサ(広葉樹の牧林)」は、ASFにとっても理想的なフィールドなのだ。

第三に、スペインはフランス・ポルトガルと陸続きであり、
イノシシの個体群を通じて国境を越えた拡大が起こり得る。
イタリアの山岳地帯で起きたことが、今度はイベリア半島と西ヨーロッパ全体に広がる可能性がある。


■ 世界市場にとってのASF ― 「豚肉インフレ」の火種

ASFは、人の健康を直接脅かす病気ではない。
しかし、世界の食糧システムにとっては大きなリスクだ。

スペインの供給が落ちれば、
これまでスペイン産に頼ってきた国々は、アメリカやカナダ、デンマークなど別の輸出国に殺到する。
需要が一気に集中すれば、国際市場の豚肉価格はじわじわ上昇していく。

さらに、発生国や発生地域からの輸入は、各国の防疫ルールに従って制限される。
輸出と輸入のバランスが崩れ、価格だけでなく流通そのものが不安定になる。


■ 日本の豚肉はどうなるのか ― 3つのリスク

では、日本の豚肉のこれからはどう変わっていくのだろうか。
整理すると、大きく3つのリスクが見えてくる。

1)国際価格の上昇が家庭の食卓を直撃する

日本の豚肉は、おおよそ半分を輸入に頼っている。
スペインの供給が不安定になれば、その分をアメリカやカナダなどから補うことになるが、
世界中が同じことをすれば、当然ながら相場は全体として上がる

とんかつ、ラーメン、餃子、弁当のソーセージ…。
「安くて量のあるタンパク源」として使われてきた豚肉の感覚が、
少しずつ変わっていく可能性が高い。

2)ASFが日本へ侵入するリスクそのものが高まる

ASFは肉を食べても人には感染しない。
しかし、問題はウイルスに汚染された物や場所だ。

海外から持ち込まれた違法な肉製品、
観光客の靴裏についた泥、港湾での荷物、
返品された食品残さの不適切な利用――。

世界での流行が増えれば増えるほど、
こうした「小さな穴」を通じて日本に入ってくる確率は上がる。

もし日本で本格的な流行が起きれば、
国内の養豚農家は大規模な殺処分と移動制限に直面し、
国内産豚肉そのものが数年間不足する可能性も否定できない。

3)日本も“イノシシ大国”であるという現実

イタリアやスペインと同じく、日本もまたイノシシが多い国だ。
山里や農地では、作物被害が日常的な問題になっている。

もしASFが国内に侵入した場合、
豚舎の防疫だけでなく、山のイノシシ対策も同時に行わなければならない。
イノシシの個体数が高いままだと、ウイルスは森の中で半永久的に残り続けるリスクがある。

これは韓国や東欧で現実に起きていることであり、
いったんそうなれば「完全な収束」は非常に難しい。


■ 日本の豚肉のこれから ― どんな未来が見えてくるか

スペインとイタリアの事例を踏まえると、
日本の豚肉はこれから次のような方向に変わっていくと考えられる。

(A)「いつでも安い肉」から「守るべき資源」へ

世界のASF流行と飼料価格の変動で、
豚肉はこれまでのような“安定して安いタンパク源”ではなくなるかもしれない。

価格はゆっくり上がり、
安売りの代名詞だった加工肉も、少しずつ“貴重な原料”として扱われていく。

(B)養豚の工場化と国産豚のブランド化

ASFの侵入を防ぐためには、
豚舎への出入りや飼料、車両、野生動物との接触を徹底的に管理する必要がある。

その結果、国内の養豚業はより密閉型・高度衛生管理の「工場」に近づいていく。
一方で、そうして守り抜いた国産豚の価値は相対的に上がるはずだ。

(C)タンパク源の多様化が静かに進む

豚肉の不安定さが増せば、
鶏肉や魚、植物性たんぱく、培養肉など、
他の選択肢が少しずつ存在感を増していくだろう。

「とりあえず豚肉で」という発想から、
食材を選び直す時代に入っていくのかもしれない。


■ まとめ ― 豚肉は“当たり前”ではなくなっていく

スペインで31年ぶりに見つかったASFのニュースは、
一見すると遠い国の出来事に見えるかもしれない。

けれど、その背後には、
イタリアで起きたような野生動物・家畜・経済・文化が同時に揺らぐシナリオが潜んでいる。
そして日本もまた、イノシシと共に暮らす国として、その延長線上にいる。

豚肉はこれからも食卓に並び続けるだろう。
ただ、その裏側で必要になる防疫とコストは確実に増していく。
「安くて当たり前の肉」ではなく、
自然条件と防疫努力に支えられた、少し脆い資源として見直す時期にきているのかもしれない。

🌏 せいかつ生き物図鑑・世界編(ブタと病の章)
― 病気と野生動物、食卓のあいだで揺れる豚肉の未来 ―

出典:ヨーロッパ各国のASF発生報告・養豚関連資料 ほか

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