― 矢と羽のあいだに、静かな約束があった ―
マガモは、人と最も長い時間を共に過ごしてきた野鳥のひとつだ。
狩猟の対象として、食文化の一部として、そして自然との境界に立つ存在として。
古代から現代まで、人とカモの関係は「殺す」「守る」「共に生きる」を繰り返してきた。
ここでは、日本における鴨猟と共存の歴史を、文化と風景の両面から辿る。
🌾目次
- 🌱 古代 ― 狩猟と祭祀に生きたカモ
- 🌿 鴨場文化 ― 武家と貴族のたしなみ
- 🔥 江戸から近代へ ― 捕る技と守る知恵
- 💧 現代の鴨猟 ― 伝統と規制の狭間で
- 🌊 共存のかたち ― 都市と野鳥の共生
- 🌙 詩的一行
🌱 古代 ― 狩猟と祭祀に生きたカモ
縄文・弥生の遺跡からは、カモ類の骨が数多く出土している。
当時、マガモは貴重なタンパク源であり、狩猟の中心的存在だった。
また、「鳥葬」や「供儀」に使われた形跡もあり、命の循環を象徴する動物として扱われていた。
冬に飛来する渡り鳥は、季節の変化を知らせる“暦”のような存在でもあった。
🌿 鴨場文化 ― 武家と貴族のたしなみ
平安時代には「鴨猟」が貴族の遊興として定着。
特に江戸時代には「鴨場(かもば)」が整備され、将軍や大名が鷹狩の一環として行った。
代表的なのが「下総国鴨場」や「越谷鴨場」など。
銃ではなく「網」や「おとりカモ」を使って静かに捕えるのが特徴で、
単なる狩りではなく“礼法と作法の芸”とされていた。
捕まえたカモはその場で絞めず、丁重に扱われたという。
“命をいただくことへの礼節”がこの文化の根にあった。
🔥 江戸から近代へ ― 捕る技と守る知恵
江戸中期以降、鴨猟は庶民にも広がり、各地の湿地帯で「網猟」「籠猟」「鴨鉄砲」が発展した。
同時に、乱獲を防ぐための独自ルールも作られた。
「雌を撃つべからず」「春に撃つな」などの掟は、自然と共に生きる知恵だった。
やがて明治期に入ると、鴨猟は銃猟へと変化し、狩猟免許制度の中で管理されるようになる。
狩猟文化が失われなかったのは、そこに“自然への敬意”があったからだ。 猟師たちは渡りの季節や風向きを読むことで、自然と共に生きていた。
💧 現代の鴨猟 ― 伝統と規制の狭間で
現在、日本では狩猟免許制度と鳥獣保護法により、カモ猟は厳格に管理されている。
猟期は主に11月〜2月、対象はマガモ・カルガモ・ヒドリガモなど。
銃器の安全管理・識別能力・捕獲数の制限などが設けられている。
一方で、「宮内庁鴨場」などでは今も伝統的な網猟が継承されており、文化財として保存されている。
つまり、現代の鴨猟は“生業”ではなく“文化”として息づいている。 捕獲と保護が矛盾しない形で続く、数少ない自然文化のひとつだ。
🌊 共存のかたち ― 都市と野鳥の共生
近年、都市部の公園や人工池でもマガモやカルガモが定着している。
それは、狩猟文化の衰退と同時に“共存の時代”が始まったことを意味している。
人が守る湿地、観察する目、そして静かに見送る距離感――
かつての“狩る技”が、“見守る技”へと姿を変えた。
今の鴨たちは、もう逃げる対象ではない。 彼らは、自然と人とのバランスを映す「水辺の鏡」なのだ。
🌙 詩的一行
矢を置き、鏡を見る――そこに映るのは人と鴨の影。
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