人の暮らしの中に、森の時間が生きている。
秋の山に入ると、
どこからか湯気のような匂いが漂ってくる。
それは焚き火の煙と、乾いた落ち葉と、
きのこの香りが混じり合ったにおいだ。
森の台所は、いつも風の中にある。
かつて山里の人々は、
森で採れたきのこを台所の隅に並べていた。
ザルの上に広げられたシイタケ、
軒下で干されるナメコ、
味噌樽のそばに置かれたマイタケ。
どれも特別なごちそうではなく、
“森の時間を少し分けてもらう”ような日常だった。
🍚 森の恵みを食べるということ
きのこを食べることは、森とつながること。
それは単に栄養を取る行為ではなく、
季節を身体に取り込む儀式でもあった。
朝の冷気が濃くなり、木々が色づくと、
人々は籠を持って森に入り、
静かな土の上で「香りの記憶」を集めた。
夜には囲炉裏の上でシイタケを焼き、
湯気の中で家族の声が響いた。
きのこの香りは、家のぬくもりの匂いと混ざり合い、
秋の終わりを知らせる合図でもあった。
森と人とのあいだにあったのは、
“感謝”よりももっと素朴な「共生の感覚」。
きのこは山の空気の一部として、
日々の暮らしの中に息づいていた。
🌾 保存と知恵
冬を越すために、人はきのこを干した。
水分を抜くと香りが濃くなり、
だしにすれば、
森の旨味が台所いっぱいに広がる。
干しシイタケの戻し汁は、
山の記憶そのものだった。
冷蔵庫も、調味料もなかった時代、
菌の力が保存の知恵を支えた。
「発酵」「乾燥」「熟成」――
それはすべて、きのこと同じ“菌の働き”から生まれた文化。
人の暮らしは、森の微生物の上に築かれていた。
✨詩的一行
湯気の奥に、森が立っている。
それが、山の台所の原風景。

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