🐟鮭1:鮭という存在

サケシリーズ

― 海と川を結ぶ命のはじまり ―

水は、記憶を運ぶ。
鮭はその中を、何度も還りながら、
命の形を描いていく。

目 次

🌅 秋の川で出会う影

私が最初に鮭を見たのは、秋の川だった。
流れの中に、赤く染まった魚がいた。
水は澄み、冷たさの奥で光がゆらいでいる。
落ち葉が岩の陰に積もり、そこから淡い泡が生まれては消えた。
その光景の中で、鮭の体はゆっくりと動き、
まるで時間そのものが泳いでいるように見えた。

人の気配はなく、ただ水の音だけが響く。
私は息を止め、流れの中に目を凝らした。
あの赤い体は、誰の記憶を背負っているのだろう。
その問いが、水面に溶けていった。

🌊 海と川を往復する魚

鮭――日本の川と海を往復する魚。
彼らは川で生まれ、海で育ち、再び生まれた川へ戻る。
その距離は、時に数千キロにも及ぶ。
北の海で脂を蓄え、群れとなって漂い、季節の風に導かれるように戻ってくる。
地球の磁場や太陽の角度、そして微かな川の匂い。
それらすべてが、彼らの“道”を形づくっている。

科学はその仕組みを解き明かそうとするが、
私はそこに、もっと古い記憶を見る。
それは、海と川を結ぶ命の脈動であり、
この星が呼吸する音そのもののように思える。

🍃 命の循環と森の記憶

鮭は産卵を終えると、その多くが命を落とす。
しかしその死は、森へと還るための新しい始まりでもある。
彼らの体を鳥が啄み、虫が分解し、やがて土へと溶ける。
その栄養を吸った木々が葉を茂らせ、
雨が降り、川が生まれ、また稚魚が流れ出す。
一匹の死が、千の命を支えている。

川と森、海と空。
それらは切り離されたものではなく、
すべてが鮭という存在を通してつながっている。
鮭は、命の循環そのものの形をしているのだ。

🇯🇵 日本の鮭たち

日本列島には、多様な鮭の姿がある。
北の海を旅するシロザケ、
夏に群れをなして遡上するカラフトマス、
湖に残り、紅に染まるベニザケ。
そして、銀色の体をもつギンザケ、
春に川を上るサクラマス、南の川に生きるサツキマス。
それぞれが異なる季節、異なる風景の中で生き、
人々の暮らしや祈りと重なってきた。

鮭は食卓の魚である前に、
この国の四季を映す鏡のような存在だ。

🙏 還るという祈り

川を上る鮭の姿には、祈りが宿っている。
水の抵抗に逆らいながら、石に体をぶつけ、
それでも前へ進もうとする姿は、
まるで命そのものの意思のようだ。
川面の光は彼らの体に反射し、
ゆらめく銀の帯が水中を舞う。
その瞬間、私は思う。
「還る」という行為は、死への道ではなく、
生命が円を描いて戻る“再生”なのだと。

💧 水の中の始まり

夕暮れ、川の流れがゆるやかに沈む。
鮭たちは、静かに産卵の場所へたどり着く。
水面には木々の影が映り、
風がその輪郭を揺らしている。
やがてひとつの命が終わり、
卵の中で新しい命が脈打ちはじめる。
それは見えないほどの小さな鼓動。
けれど、その中には海と森と空のすべてが宿っている。

私はその光景を見ながら、
この国の水が持つ優しさを思った。
鮭の旅は、単なる回遊ではない。
それは、世界をめぐる記憶の運動だ。
そしてその記憶は、私たち人間の中にも、
静かに流れている。


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